徳川家康が実践した戦国一の食養生
戦国武将は皆長生きだった!【和食の科学史⑩】
■新鮮な鳥の肉を食べていた
家康は鷹狩りが大好きでした。鷹狩りとは、その名のとおり、鷹を使う狩りのことで、鶴、ウズラ、キジ、鴨、ウサギなどを捕らえます。鷹狩りの歴史は古く、『日本書紀』によると、古墳時代初めの仁徳天皇の時代に大陸から鷹狩りの技術が伝えられ、朝廷に鷹を飼う専門の部署が作られています。平安時代以降は武家が盛んに行うようになりました。
鎌倉時代に源頼朝が富士の裾野で行った有名な巻狩りは、四方から獲物を取り囲み、追いつめて捕らえる方法です。そのため鷹狩りとは異なりますが、どちらも馬に乗って山野を駆けめぐる点は同じです。武士にとって狩りは軍事教練の場でもありました。
家康は鷹狩りが健康維持に役立つと考えていたようで、生涯に1000回以上も鷹狩りをもよおしています。狩りで捕らえた鳥は、焼き鳥となって家康の食膳を飾りました。上杉謙信のところで説明したように、肉は血管を丈夫にするうえ筋力もつきます。現代のように食べ過ぎるのは問題ですが、ある程度は必要です。しかも家康が食べていたのは肉のなかでも脂肪が少なく、蛋白質が豊富な鳥の肉ですから、より健康的でした。
家康は亡くなる数ヵ月前まで鷹狩りを楽しみ、73歳で生涯を閉じました。死因として長らく考えられてきたのが鯛の天ぷらによる食中毒です。天ぷらは南蛮から伝わった新しい調理法で、日ごろ健康第一の家康も、物珍しさから、つい食べ過ぎてしまったのではないかというのです。
しかし、胃か食道、もしくは他の消化器にがんがあったのではないかという指摘もあり、文献や書籍を見る限りでは、こちらの説のほうが納得できる気がします。内臓のがんは外から見えないため病名の見当がつかず、家康は自分の病気を寄生虫感染と考えていたようです。消化器のがんを診断できるようになるのは明治時代になってからです。